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14名が銀行で「毒殺」された… 犯人は元「731部隊」か、「謎の大金」を持つ画家か 凶悪犯罪「帝銀事件」の真相とは

世間を騒がせた事件・事故の歴史

 

■「死刑」判決後、再審は一度も認められなかった

 

 1948年12月に始まった公判で、平沢貞通は無罪を主張した。しかし、1950年、東京地裁は死刑判決を下し、1955年には最高裁で上告が棄却され、死刑が確定した。

 

 一方で「平沢は冤罪だ」という声は根強く、擁護派は「平沢の自白は警察による暴力的な取調べや、彼が抱える精神疾患の影響によるもので信憑性に欠ける」と主張した。また、物的証拠が一切存在しない点も疑念を深めた。平沢は再審請求を17回、恩赦願は3回にわたり提出したが、いずれも却下された。

 

 1980年代以降、「免田事件」や「財田川事件」などで死刑判決を受けた被告が再審で無罪となる事例が相次いだが、帝銀事件については再審が一度も認められることはなかった。

 

 その反面で、冤罪の可能性を考慮したのか、歴代の法務大臣は誰一人として平沢の死刑執行命令に署名せず。この結果、平沢は39年間にわたる獄中生活を送り、1987510日、95歳で獄死した。

 

■いまだ解明されない「二つの謎」

 

 帝銀事件には今も解明されない大きな二つの謎が残る。一つ目は、平沢が得た大金の出所である。もし平沢が冤罪であるならば、この金の出所を明確にすれば無実を証明できたはずだ。しかし、供述は二転三転し、いずれも虚偽と判明した。なぜ平沢は真実を語らなかったのか、いくつかの説があるものの、それが正しいか否かを証明する術はもはや存在しない。

 

 二つ目は、旧陸軍への捜査とGHQの関与に関する疑問である。一部では、GHQ731部隊の研究データを接収し、それを利用する目的で捜査に影響を与えたとする説が提起されている。731部隊は満州を拠点に、生物兵器の開発や人体実験に関する膨大なデータを有していたとされ、それがアメリカの軍事や医学分野に利用されたという推論もある。しかし、捜査が実際に妨害されたのか、それとも通常の捜査過程で進展がなかっただけなのかは明らかではなく、この点については現在も議論が続いている。いずれにしても、帝銀事件にまつわるすべての真相が明らかになる日は訪れそうにない。

七三一部隊施設

 

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ミゾロギ・ダイスケ 

昭和文化研究家、ライター、編集者。スタジオ・ソラリス代表。スポーツ誌編集者を経て独立。出版物、Web媒体の企画、編集、原稿執筆を行う。著書に『未解決事件の戦後史』(双葉社)。

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